痛々しい遺族の要望書
先日「大日岳遭難事故その後」としてエントリしたご遺族の「要望書」がサイトにアップされていました。簡潔な文書ですが、以下抜粋。
ご遺族のお気持ちはわかりますが、厳しいかも知れませんね。厳しいとは、登山研修所に申し入れをしたところで、その声が果たして届くのだろうかということです。過去の経緯からわかるのは、行政機関によく表出する「委任の形式を使った問題からの逃避」ですし・・・。
ですから、登山研修所に申し入れを行っても、「本庁のほうの指示に従って執り行います」と言われ、本庁では「安全検討会の示した方向性に合致するように努力します」という答弁でしょうね。そして安全検討会は、「事故の再検証が必要である」との一文を入れませんでしたので、遺族が望んでいるものが実行されなくても、組織機関の中にそれを咎める人がいない。
よって、遺族が寄って立つところは、登山研修所関係者の「良心」でしかない。ところが、過去の経緯が明らかにしているのは、事故関係者に良心があれば裁判が起こることもなかったし、裁判が長引くこともなかった・・・なのですから、今回の出された要望書は、痛々しくてしょうがない。
であるならば、むしろ当事者に直接インタビューされたほうが効果的なのではないでしょうか。ただ、心理的にとてもつらいであろうことは想像できますので、こちらの選択肢もかなり厳しいものではあるには違いないでしょうが。
亡くなった二人の大学生を引率していた高村眞司氏は活動を再開していて、公的な場でも発言しているようです。たとえば「ここ」。一体、何をしゃべられたのか興味あるところです。こうした場で話をするより、ご遺族に向かって、まずはきちんと話をするほうが大事であると思うのですけど・・・。
事故とその後については「いつか晴れた日に」というブログがやや冗長ながらよく整理されており、「ここ」もしくは「こちら」あたりを読めば、概略は把握できるかと思います。
当時の研修に参加した講師方が事故の原因及び反省すべき点が何であると考えておられるのか、その証言が不可欠である。すでに裁判は終結しており、講師は勇気を持って、正直な意見を述べ、生きた教訓を残して頂きたい。
ご遺族のお気持ちはわかりますが、厳しいかも知れませんね。厳しいとは、登山研修所に申し入れをしたところで、その声が果たして届くのだろうかということです。過去の経緯からわかるのは、行政機関によく表出する「委任の形式を使った問題からの逃避」ですし・・・。
ですから、登山研修所に申し入れを行っても、「本庁のほうの指示に従って執り行います」と言われ、本庁では「安全検討会の示した方向性に合致するように努力します」という答弁でしょうね。そして安全検討会は、「事故の再検証が必要である」との一文を入れませんでしたので、遺族が望んでいるものが実行されなくても、組織機関の中にそれを咎める人がいない。
よって、遺族が寄って立つところは、登山研修所関係者の「良心」でしかない。ところが、過去の経緯が明らかにしているのは、事故関係者に良心があれば裁判が起こることもなかったし、裁判が長引くこともなかった・・・なのですから、今回の出された要望書は、痛々しくてしょうがない。
であるならば、むしろ当事者に直接インタビューされたほうが効果的なのではないでしょうか。ただ、心理的にとてもつらいであろうことは想像できますので、こちらの選択肢もかなり厳しいものではあるには違いないでしょうが。
亡くなった二人の大学生を引率していた高村眞司氏は活動を再開していて、公的な場でも発言しているようです。たとえば「ここ」。一体、何をしゃべられたのか興味あるところです。こうした場で話をするより、ご遺族に向かって、まずはきちんと話をするほうが大事であると思うのですけど・・・。
事故とその後については「いつか晴れた日に」というブログがやや冗長ながらよく整理されており、「ここ」もしくは「こちら」あたりを読めば、概略は把握できるかと思います。
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